『M&D』読了

 最後の方で喋る犬が(「一応」という但し書きつきで)再び登場と相成ったのは慶賀に堪えない…ということに個人的にはなるのけれども、あともうひとつ、「退屈でない」と「面白くない」という形容は、必ずしも同じ意味ではない——つまりは並列可能——ということが、体感レベルで、わかった。(逆にいうと、「退屈」で「面白い」ものも、この世には存在しているということだ。)
 真情として、この『メイスン&ディクスン』を「面白い」といい切ることは、わたしにはできない。もちろん「感動した」などとは、口が裂けてもいえない。評判である「笑い」の部分に関してもいまいち不発気味だった。だけれども、それは決して「退屈」だったということは意味していない。むしろ、この「退屈でなささ加減」(変ないい方だが)は、尋常でないと思った。奇妙という形容を比較級で表す機会は、わたしの日常ではそうはないのだけれど、この小説における奇妙さは、最大級で表せるような気もする。
 何にせよ、今回はじめて、噂の(と頭につく)トマス・ピンチョンの作品を読み終えた。気に入ったのか気に入らなかったのかさえも、実のところよくわかっていない状態だ。その癖、次回再び新潮社から出ることになっている他のピンチョンの作品もまた図書館で予約してみようと思わされている、ということは、すなわち、今回、食指は十二分に動かされたということである。捕らわれた、ということだ。よくわかっていないながらも。