岩波新書『ディズニーランドという聖地』読了

 1990年7月刊。なんだ。フルシチョフがディズニーランドに行けなくて怒髪天を衝いたというのは有名なエピソードだったんすね。はずかしい。知りませんでした。というか、そうしたエピソードにいちいち反応してしまうというのも、もしかすると、世紀を超えて、フルシチョフ側のイメージ戦略にまんまと乗っかってしまったということなのかもしれません。
 もちろんこの本を手に取ったのは、先週の『創造の狂気』関連なのだけれど、ふーむ、ディズニーランド批判、というわけでもなく、かといって、ディズニーランド讃歌でもない、という、文字通りの絶妙なポジションは、いろいろと他分野においても応用が可能な気がします。つまりは、著者、能登路雅子氏の筆により、気持ちよく読み終えられたということです。確かに、「カリブの海賊」は(って自分が知ってるのはあくまで浦安のだけれど)あのテーマパークの中でもいちにを争う楽しさっすよね。ディズニー最高傑作、なる評もあるらしい。そしてまた、あの空間を、「すべてニセモノ!」と喝破する人たちの気持ちも、もちろんわからないでもないです。
 これはナンシー関の本に書いてあったことだけれど、昔、東京ディズニーランドの側で一家心中があったんだって? だとしたら、「聖地」というのは比喩でも何でもなく、既にリアルなそれとして水面下では認知されているということなんですかね? って、ディズニーと死との関連にそれとなく注目してしまうということ自身が、既に「聖地」の魔に取り込まれているということなのかも。