結局、蘇我蝦夷の回想の中でしか我々読者は厩戸皇子(聖徳太子)に接することができない。彼の天才がいかなる形で花開くかをつぶさに見たかったのに。残念至極。が、ここに来て、その渇を癒すべく、新たなる知の権化が登場する。(「天才」ではないけれど。…
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