鎌足登場

 結局、蘇我蝦夷の回想の中でしか我々読者は厩戸皇子聖徳太子)に接することができない。彼の天才がいかなる形で花開くかをつぶさに見たかったのに。残念至極。が、ここに来て、その渇を癒すべく、新たなる知の権化が登場する。(「天才」ではないけれど。)昨日も言及した、中臣鎌子――藤原鎌足だ。「鋭敏にして性急」と評される蘇我入鹿、そしてまた「鈍重にして性急」と評される軽皇子(かるのおうじ)といった、かなりに個性の強い面々に囲まれ、いやがうえにも彼の知は浮き立つばかり。「双調平家物語」序の巻での、楊貴妃の美貌がもたらす物語へのインパクトが、ちょうど彼の知に相応しているように思われる。つまりは、たいへん魅力的に描かれているということだ。 
 藤原鎌足(30歳)、軽皇子(48歳)の帳帳内での対話を一部抜粋。端は、山背大兄(やましろのおおえ)暗殺を蘇我入鹿から持ち掛けられた軽皇子の困惑から発する。

「それならば、入鹿はなぜ今の時にすると言う?」
「それならば、なぜあなた様は、今の時それをお享けになります?」
 軽皇子はただ唸った。
「人の心は不思議でございます。今の時に役立たずのことを、平気で今の時にしでかします。今の時に山背大兄を倒して何になりましょう。ところが、それをすると仰せられるお人がお二方もおられます。それですなわち、事の成り行きは二つに分かれるのでございます」
 意を決した鎌足公の気迫に、さすがの皇子も息を呑んだ。
「大臣(註:蘇我入鹿)は、山背大兄を倒しましょう。それをして、世の人は大臣を譏(そし)りましょう。しかし、譏って譏りきれないのは、そこにあなた様がおいでになることです。あなた様がおいでにならなければ、事は“蘇我の暴虐”で収まります。ところが、そこにはあなた様もおいでになります。あなた様は、帝の弟君です。大臣を譏ることは出来ても、あなた様を譏ることはできません。それをすれば、事は帝にも及びます。“帝は、山背大兄殺害をご了承になるのか”と。それがございますがゆえに、世の人はこの事をなかなか表沙汰にはいたしにくくなります。大臣がこの話を宮に持ち込まれた裏には、そのことがあると存じます」

 既にして山背大兄殺害じたいを問題とはしない、ヒューマニズムとは一線を画する論理的思考が炸裂する。「ふじわらのかまたり」という、何となく間延びした語感とは相容れない聡明さ。私的な感想だが。
 そしてこの後、藤原鎌足は、軽皇子から実の妻たる女性を差し出される。――飛鳥時代の男女関係は、「関係」という単語を持ち出すのも憚られる生臭さに満ち満ちているのだなあ……とまたも私的な感想に耽る。(飛鳥に限った話ではないのか。)
 現在、ぼくが読んでいるところでは、鎌足は、これもまた女性問題で敵対している軽皇子の甥、中大兄皇子(19歳)に接近中だ。「蹴鞠の会で出会う話は有名」(→)とのことだけれど、もちろんぼくには、初見の話。決して良く思われてはいない相手の胸中に入り込む手法は、「邪魔だから殺せ」の単純さより、確実に読む者に興奮を与える。