夢とか希望とか

作文の時間に、「将来の夢」というテーマを与えられ、はたと困る人、嬉々としてマス目を埋める人と、色々いたとは思うけど、少なくともみんな、二鳥修一くんが、「先生 ぼく おっきくなったらきれいな女の人になるんです」と書けなかった気持ちはわかると思うんだ。こんな、二鳥修一くんが、何の気兼ねもなく、「ぼく おっきくなったらきれいな女の人になるんです」と書けて、それを読んだ中澤先生も、別段けったいな反応をせず、「そうそう、そういえばわたしの友達にもね……」なんて、フランクに受け止めるような、そんな空間が――ある種の理想郷の名にふさわしいのかもしれません。(学校で作文を書かせることの如何はこの際脇に置いといて。)

キャラバンは何処に

ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくなるなんて、そんなバカなあやまちはしないのさ――と高らかに歌っていたあの男の子はどこへ行ってしまったのだろう? 押入れを探ってみたけれど見つからない。ううう。まさか売りに出してはいない筈だし、ああ、もう一度聴きたいなあ。
にしても当時は――いつだろう、「Life」を買った後だからかれこれ10年も前の出来事か――「ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくなるなんて、そんなバカなあやまちは」したくないなあと真剣に思っていたものです。いや、ほんとに。
そんな真剣な思いにもかかわらず現在けっこう「何も言えなくなる」状況に遭遇することもしばしば。別に「ありとあらゆる種類の言葉」なんて知ってはいないのにね。(つーか中途半端に知ってることばかりがほとんど。)困ったもんだ。
「ありとあらゆる種類の言葉を知ると人はほんとうに何も言えなくなるのだろうか?」
これが今回の隠れたテーマだ。さてどうだろう? ソクラテスとかニーチェとかヴィトゲンシュタインとかはたまたグレン・グールドとかてきとうな名前を出して茶を濁したりもできるけれど、一体あの歌を歌っていた当の本人は「バカなあやまち」にはまりきらずに今もどこかで元気に暮らしているのだろうか?