四畳半太平楽

 21エモンが、旅先で、両親に手紙を書こうとするのだけれど、なかなかうまくいかない。どうしてなんだろう、これは? と考えた彼はひとつの結論を導き出す。「そうだ、さっきからトイレを我慢していたからだ。馬鹿だなあ。」そしてトイレに行ってきた彼は、無事、両親への手紙を仕上げる。折に触れ思い出すこのエピソード。だからなんだという訳じゃないのだが、藤子不二雄の影響力というのは多分に絶大だなあと改めて思い知らされた次第。(さっき、トイレに行ってきた。帰りに、でかいゴキブリに遭遇し仰天した。)ちなみに、「21エモン」では、藤子・F・不二雄にしては珍しく、トイレネタが目立っていたような気がする。目立っていた、というか、単にこちらの記憶に引っかかってるだけかもしれないけど。青年の自意識もを、テーマに盛り込んでいたとか。加えて、あの作品のラストは、ちょっとセオリーどおりの成長マンガっぽくて、藤子・F・不二雄にしては苦手です。
 と書いてて、「ならば、好きな藤子・F・不二雄作品のラストは?」と眠い目をこすりながら考える。「さようならドラえもん」は別格として、思えば、どれも、「成長」と切っても切りはなせないようではあったしなあ。そんな中、「うめ星デンカ」の連載時のラストって、かなり子供を対象した上ではシュールだった。結局、みんな、故郷の星に帰れなくて、自分たちの壷の中で暮らすの。あの壷、ドラえもんの四次元ポケットみたいにいくらでも広がるから。もちろん藤子・F・不二雄の皮肉が入ってたとは思う。けれども、おもしろさでは充分合格だったから満足だ。その点、てんとう虫コミックス版では、きちんと全員故郷の星に帰れるってことになってたけど、はっきりいってつまらなかった。駄作だった。別の著者が描いてたんだっけ。うーん、こういう“差し替え”も洗脳の一環なのか。「別に帰れなくたっていいじゃん(別にセオリーどおりに成長しなくたっていいじゃん)」が通用しない世界ってのは確かにあるね。