及び腰

 言い繕いの技術を見たかったのに、はぐらかされた気分だ。
 ふだんあらゆるひとにそうした「言質の責任」を追求しているのだから、今回どのような手を用いて“生きた見本”となってくれるのかと期待していたのに。(そもそもその手の言語構築は出版社員の御家芸だろうに。)
 かわりに持ち出してきたのが新潮社員ではない江川紹子。彼女曰く「私はそもそも長官狙撃事件は発生から数年経た時点で、オウムの犯行ではないのではないかと疑うようになった」。
 うーむ。確かにそうかもしれない。まだ確かなことは何も明らかになっていないのかもしれない。そう、だからこそ、今のこの時点で、週刊新潮としてのコメントを聞きたかったのだ。
 世渡りの例として、きちんと学ぶつもりでいたんだけどな。