名前を気にしたり

 ときどき思うのは、Aという名とBという名では、どちらの方に高値がつくか、ということ。高い名、ってありますよね。別に見た目が派手! という意ではなく(なんとなく今「綾小路」という名が浮かんだ…)、バランスがいい、というか。音、形の面で、思わずカゴに入れたくなるような名前。あまり大きな声では言われていないし、多くの人は、そんなこと気にせず暮らしているようだけれど。(どうなんだろう?)これって、思いっきり資本主義社会に毒されている考え方なのかな。そのそも、その名を欲する人だっていろいろだろうしね。――つまりここでぼくはその名を欲する人を「大衆の一員」という無個性なものとして捉えているのであって、資本主義社会ではなくむしろ高度情報化社会に毒されているとでもいうべき?
 ちなみに、先日、姓名判断で「綿矢りさ」を調べてみたら、さすがのその“強運”ぶりにびっくりしました。準備万端。が、現在活躍している某漫画家がそんなことを気にせずに自分のペンネームをつけている事実にしばし立ち止まったり。彼女、そういうのものすごく気にしそうなんだけどなあ。