作中のオダギリジョーには、「ホモ」だの「オカマ」と囃し立てていた男子中学生でさえ惚れる

正直、これは「やり過ぎなんじゃ……」と思わないでもなかったです。リアル/アンリアルの基準でいうと(って、あくまで個人的な感覚だけれど)えーと、「まあ、そりゃ惚れるか」に傾いてはいるのですが。
顎、つかまれているシーンありましたよね。水の入った風船を投げつけた少年が、オダギリジョーに。そのとき、ちょっと思ってしまいました。「あ、ここでオダギリ、少年にキスするな」と。ま、当然、そんなシーンはなかったのですが。ここは2005年日本ですから。ただ単に「今度やったら殺すぞ」と凄んでただけで。でも、感じとっていた人は感じとっていたはず。あのシーンにおける性的な空気を。あーあ、引きずり込んじゃったよ、どーすんだ、おい。みたいに。
とかいって、少年が、「すいません、さんざっぱら悪いことして、ボクが悪かったです」なんて、それこそ、卑弥呼が嫌うだろう、かんたんな改悛をするよりはよっぽどいいのですが。だって、困りませんでしたか? この少年が、お盆の時にメゾン・ド・ヒミコの手伝いに来るシーン。ナスやきゅうりで作った動物の由良を老人に聞くなんて「うわー、このいい子ぶり、NHKかよ!」と身悶えしていた人も少なからずいたと思う。ま、つまりここも「チョロQの原理」で気に入ったというわけなのです。(註:この「惚れた云々」については、複数の解釈があってしかるべきではありますよね。はっきりと、言及されてはいなかったのだし。もしかすると、「死んだ兄さんに面影が似ていた」なんて解釈だってあってもおかしくないし。だから、あくまでこれはわたし個人の感じたことだと付け加えておきます。)