左右相称
末木文美士さん。今年に入って3冊も本を上梓しておられます。順に「仏教vs.倫理」(ちくま新書)「日本宗教史」(岩波新書)「思想としての仏教入門」(トランスビュー)。これに、10年前に新潮文庫から出た「日本仏教史」(解説は橋本治)が我が本棚には並んでいるわけだけれど、先程、本の背表紙を何気に見ていて、気付いたことがあります。「末木文美士」って、これピッタリ左右相称じゃん。
末
木
文
美
士
……何の助けも借りずに、他にこうした左右相称の名前ってないかなーと思いを巡らせてみたところ、出て来たのが、宝塚歌劇団創立者の小林一三と、爆笑問題の太田光。でも、このふたりじゃ(特に後者じゃ)相対的にかなり厳しいかー。
たぶん、末木氏の名付け親は、このシンメトリーにポイントをおいていたと思うんですよね。文美士少年も、幼い頃は、多大にこのシンメトリーをアイデンティティの拠り所としていたのではないかと想像するのですが、いかがなものだったのでしょうか?
西欧の伝統がだめで、日本の、あるいは東洋の伝統が正しいというのはあまりに身勝手な論理であり、西欧崇拝の裏返しとしての無批判な東洋主義、日本主義ほど危険なものはない。(略)今日の日本の精神状況の行き詰まりをみるとき、重要なことはもう一度我々の中に流れている伝統を反省し、批判していくことではあるまいか。西欧崇拝でもなく、その裏返しの日本主義、東洋主義でもなく、自らのうちなる伝統をきちんと批判的に継承してゆくことができて、はじめて自立的な思想の形成が可能となるのではないだろうか。
「思想としての仏教入門」より。
ね、ね。このバランス感覚。中庸を地で行くこの精神こそ、末木文美士が名前から授かった偉大なる恩恵に違いありません。――って、こじつけだけど。
あと、個人的には、「末木文美士」なる漢字と、仏教用語における漢字の読みのむつかしさが、微妙にシンクロしているような気がしないでもないです。読めませんよ、初見では。「スエキフミヒコ」だなんて。橋本治の本でこの名を見た時には、正直、女性かと思ってしまいました。学生の頃の先生、苦労したろうなあ。出欠を取る際に、読めなくて。それもまた、幼いフミヒコ少年の心に影響を与え……ってことにはならないか。さすがにね。