索引みたい

大統領の最後の恋」という本を買いました。クレスト・ブックスの最新刊。600ページ以上と、割に嵩があります。図書館で借りて読むには、いささか自信をなくす分量です。だからといって、買って読み切れるかどうかもわかりません。どうしようかな、としばし迷ったものの、まあ、吉本ばななの「アムリタ」から引用すると、

 自分ではどこにあるかわからない、どうしようもなく遠くでも確実に触れるほど近い、ある部分が買え、買えと強く訴えるような気がしたのだ。

 みたいな感覚が湧いたので、結局「賭かなー」と思い買ってしまった次第であります。
 よく知らないしね。この作者。アンドレイ・クルコフ氏。ウクライナの人。1961年生まれ。前作「ペンギンの憂鬱」は、図書館で借りて、まあふつうに楽しめたかなといった記憶(→)はあるのですが……。
 現在、バーボンを嘗めるが如くちびりちびりと読んでいる最中。
 ――ところで、あなたは、本に、書き込みってしてますか? つーか、そういう行為を、抵抗なく、できますか?

 ある時、知り合いからこういう質問をされた。
「高橋さん、どういう具合に本を読むんですか」
 だから、ぼくはこう答えた。
「どういう具合ってさあ、頁を手でめくりながら目で読むに決まってんじゃん」
「んじゃなくて、ノートやメモをとりながら読むとか」
「ああ、ぼくはノートもメモもとらないよ。みんな本に書き込んじゃうの」
「感想とかですか?」
「だから、みんなだってば。ぼく、他にノートもメモも持ってないから、感想も創作ノートも競馬の予想もみんな本に書き込んじゃうんだよ」

 高橋源一郎「いざとなりゃ本ぐらい読むわよ」より(「アカデミー最優秀監督はロバート・ゼメキスではなくマイケル・オンダーチェ」の冒頭部分)。
 いやー、今回、せっかく自腹を切って分厚い本を買ったので、ちょっと、上の作中人物のように、今までできなかった「本に書き込みをする」という行為をしてみようかと挑戦しているのですが……むつかしいもんですねえ。禁忌、なる言葉もちらりとあたまに浮かびます。抵抗が、ないといったら、かなりに嘘になるしなー。びくびくもんです。(線引きはできるようになったのだが。)ちょっと宗教っぽい――というか、単なる自意識過剰か。
 で、件の「大統領の最後の恋」、これは、今までのところ、「1975年」「2015年」「1983年」を軸にした3つの時代がランダムに語られています。(ちなみに主人公は著者と同じ1961年生まれ。)むむー、ややこしいなーと思いつつ、読み進めていくにつれ、あることに気がつきました。それは、各章のタイトルが、それぞれ、時代ごとに高さが揃えられているということ。つまり、タイトルの位置が高い時は「過去」、低い時は「未来」について語られているといった具合なのです。へー、まるでインデックスみたいだなー、ようやるなーと、ページをぱらぱらとめくりつつ感心しているのですが、まあ、こういう造本における工夫は、ペンを片手にしてなければ、それこそ永久に気がつかなかったかもしれないよね。
(※先ほど、全ページをめくってみたところ、決して上の法が厳密に守られてるわけではありませんでした。でも、まあ、そこにも何か秘密が隠されているのかもしれない。)