猩猩/西瓜

 最近やたらと目にするんだ。この「猩猩(しょうじょう)」って単語。Wikipediaでは、「もののけ姫」にも登場するなんてことが書いてある。(ちなみに未見。)中国の伝説上の動物、もしくは、オランウータンの和名だとか。でも、まあ、そうした猩猩じたいにより、むしろぼくは能における「猩猩」のほうに激しくこころを惹かれていたりもするんだな。
 大辞林より抜粋するよ。

しょうじょう【猩猩 
 能の一。五番目物。作者未詳。
 唐土の高風という孝行者が、夢のお告げで酒を売り富貴になる。ある月夜潯陽江(しんようのえ)に猩猩が現れ、酒を酌みかわして舞を舞い、高風の孝心をめでて酒の泉を与えるという筋。

 孝行息子が、夢のお告げで酒を売り金持ちになる――か。いい話だ。って、ごめんなー。ずぼらな性格が如実に出るような受け方で。
 ところで、この単語が出て来る本のひとつ、笙野頼子「水晶内制度」の巻末に、夢占い辞典のたぐいが参考資料として載せられている。
 題名だけピックアップしてみようかな。
「夢占い辞典」「細密夢占い辞典」「夢占い」「詳細夢占い辞典」――。
 ふむふむ。
 実は、ここ1週間ばかり、ちょいとPagesを使って夢日記なるものをつけてるんだ。何て酔狂な、と笑わば笑え。おもしろくはあるよ。ごくごく個人的な愉しみだが。横尾忠則が9月24日に毎日に載せていた文の影響もあるかも。
 参考までに抜粋。

好きな物:「夢」
 30年間夢日記を書いている。夢は人に話すか記述しないとすぐに忘れてしまう。夢を書くということは無意識を顕在化させるということだ。インスピレーションは潜在意識からやってくるものでぼくの創作の源泉になっている。また夢を記述することでシンクロシニティが起こりやすくなる。そして夢はなんといっても楽しい。たとえ恐ろしい夢をみたとしても目が覚めた時のホッとした気分ほど嬉しい瞬間はない。夢に比べれば映画などは他人事でアクチュアリティはない。お金もかからないし娯楽として最高。そして眠りながらもうひとつの人生を生きることができるのではないか。

 で、ちょっと恥ずかしくはあるけれど、ぱらぱらと見てみたんだ本屋で。上記夢占い辞典の数冊を。どんなものかなーと思って。でも、ざんねんながら、あまり購買意欲をそそられる品はなかったね。たんじゅんに、どれもこれもみんな同じように見えてしまって。
 夢占いというのは、ストーリーよりも、出て来る物が何を象徴しているのかが大事みたいだ。それに対し、どのような感情を抱いたのかも。(この認識、あとで修正の可能性あり。)筒井康隆の「パプリカ」を、地でいくような世界だね。
 と、いうわけで、なんだかまとまりがたくなってきたけれど、さきほど見た笙野頼子の出て来る「西瓜」夢を記し、この項を閉じることとしたい。個人的には、西瓜の「赤み」というのが彼女の怒りに相当するのかと。素人の見立てだが。

「西瓜が割れる」
 地元の駅で、笙野頼子の率いる宗教団体に入っている夢を見たんだ。ぼく以外は、全員、笙野頼子と同年配の女性ばかりで、総勢20名ほどだったかな? 笙野頼子は、手にビニールの袋を持っていて、何が入っているのかと聞いたら、西瓜だという返事。これを使って、周りの人が歩くのを妨害するんだとかいう話だったので、あぶないなあと思いつつも、あたまの中では、既に、ビニールの中で割れた西瓜の映像がぐるぐると回っていた。

 それとも、この「笙野頼子」って、もしかするとオレの分身なのかな?