併読中

 今年は井上靖の生誕100周年らしい。知らなかった。あー。だからかー。とここでぽんと膝を打つのは、「風林火山」や「蒼き狼」が相次いで映像化されている現状に対する謎があったからだ。なるほど。生誕100周年という名目があれば、どんどんコンテンツを利用していくだろう。といいつつ、ここには純粋な作品への愛があってこそだという気もする。当たり前だけれど。
 別に、生誕100周年とは関係なく、単に「双調平家物語」と扱っている時代が同じだという理由で、同氏の「額田女王」を読んでいる。そして驚くのが、この2作における“額田王”という女性への解釈の違いなのだ。前者の額田が、「ふたりの男に同時に愛されて嬉しい!」という喜びを思い切り露わにしているのに対し、後者の額田は、そんなことはおくびにも出さない、まさに聖女として存在感をあたりにまき散らしている。

 自分は神の声を聞くことを使命としている特殊な女なのだ。汚れも穢れも寄せつけぬ、寄せてはならぬ女なのである。

 という具合に。うーん、ある種の人たちには、ぜったい好かれるよなあ。こういうのは。と漠然と思う。
 ちなみに、橋本治「双調平家物語」での額田はこんな感じ。

 二人の男の間を行き来するのならよい。しかし、二人の女になって、その間を一人の男に行き来されることなど真っ平なのだ。

 リアルなのは、たぶんこっちのような気はするけれど、しかし、太古の日本人のメンタリティまでは窺い知ることができないから断定は当然できない。(2作の間には若干のタイムラグもある。)が、それはそれとして、まったく衰えない井上靖の人気の秘密がちらと垣間見えるエピソードではあった。味が、清涼飲料水のようにさわやかなのだ。疲れている時には絶品だろう。