他にも併読中

 来月の初めまでに「少年への性的虐待――男性被害者の心的外傷と精神分析治療」(作品社)なる本を読み通さなければならなくなった。ううう。ハード。と最初の数ページをめくっただけで恐れをなしてしまう。ここ最近、決して夜見た夢の内容を忘れたことはなかったのだけれど、この本を読み始めて、そんな呑気なことは言っていられなくなった。あ、今見てるのは悪夢だな。という認識は当の夢を見ている間になされるものの、朝目覚めると、それがどういう内容だったのかちっとも覚えていないのだ。冬なのに、寝汗もかく。そう。この手の本は、今まで意識して手に取らずに来たからなあ。耐性がないのだ。が、しかし、今朝になってようやく、また夢の内容を思い出せるようになった。(床下でイルカがきうきう鳴いていた。)本の内容に慣れたわけではない。とは思いつつ、それでもやはり耐性ができつつあるということなのだろうか。とも思う。ふう……。というわけで、ひと休みして、またノルマをこなす。
 光源氏が、空蝉の弟、小君(12.3歳の少年)を寝床に誘い込むシーンなんて、この本に出て来る「性的虐待」というタームにぴたりと一致するような気もしないでもないのだけれど、それを言ったら、紫の上になされたことだって、思い切り「性的虐待」ではあるか。だだ、この小君に対し、同情する声は、あまり聞かないような気がする。少女への性的虐待に比べ、少年への性的虐待は、どこか可笑しさを含んでいるとでもいったような風潮は――果たしてあるのか? そもそも、我々は、小君のその後の人生を、まったく伺い知ることが出来ないのだ。(……と、こんなことを書いている間に、1枚でも多くページを繰っておけという話もある。)