女ことばってむつかしいよ

 いや。ほんとむつかしいです。「遣ってはいけない」という戒めを小さい頃に強烈に受けたせいか、今でも、そうかんたんには遣うことができません。ちょっと、いま、試しに遣ってみようかなーと思ったけれど、んー、やはり、恥ずかしい、というより、さらに強い禁忌の感情に襲われている始末。ただ、語尾に「〜わよ。」とか付けるだけでもね。(付けません。すいません。と謝りたくなる。何故か。)
 あー、遣う必要はないんですよ、ぜんぜん。ないんだけれど、この土日、松浦理英子の「裏ヴァージョン」をもう一度最初から読み直したら、やっぱり女性の喋りことばってものすごく魅力的なんだなーということを再確認し、こういう言葉を(語り手の性別及び性的嗜好問わず)遣いこなせるのって、ちょっと絵のうまさや歌のうまさに相通じるものがあるなーという風に思ったもので。ほんとうかどうかは分からないけれど、どこか、(言語ネタなのに)右脳を刺激されるような趣があります。
 あー、これも一種の性差別なのかしら? 見くだしているわけではまったくないのだけれど。つか、この「〜かしら?」ってセリフ、藤子不二雄の漫画によく出て来て、それを学校で何に気なしに遣ったら、周りのクラスメートに変な具合にはやし立てられましたね……。まあそりゃそうか。「女ことば」というより、「方言」や「時代錯誤」をからかうのと同じ意味合いだったのかな?
 森毅が、学生時代にガールフレンドと文通をする際、男ことばと女ことばを相互入れ替えて書いたというエピソードを昔読んだことがあるのだけれど、森毅とか、なにげにうまそうですよね。女ことば。谷崎「卍」に通じる、関西のイメージと関係しているのかも。