あまりにも酷な設定なので、読んでいて苦しかった、か。

 先頃出た桐野夏生の新刊「メタボラ」の主人公のひとりはゲイなんだそうで。「一冊の本」で知りました。何やら、ずいぶんとまた濃そうなフィクション……。以下、斎藤環による桐野夏生へのインタビューより抜粋。

斎藤 主人子をゲイに設定されたのも、何かきっかけがあったんですか。
桐野 ありません。ギンジという男の子を描くにあたって、この世の中に自分は適合できないのではないかという、居心地の悪さを常に持っている人、として出したかったんです。そしたら、ゲイという指向性を持たせることになりました。
斎藤 それがとても活きていると思いましたね。実際にひきこもっている方の中にはゲイの人もいて、彼らは二重に疎外されている。ただでさえ居場所がないのに、ゲイということだけで、ひきこもりのサークルにも入れず、孤立してしまっているんです。
桐野 なるべくギンジを過酷な状況に追い詰めようとは思っていました。普通の男の子が逃げ道として選択できるもの、そのすべての退路を断つみたいな感じですね。
斎藤 彼はひきこもりではありませんが、ヘテロセクシャル異性愛で救われるという抜け道さえ許されていない。あまりにも酷な設定なので、読んでいて苦しかったですね。
桐野 わたしも可哀相だなと思いながら描いていましたが、でも、彼には狡猾な面もあって、逞しいのか貧弱なのか判らないところがあるでしょう。

 これだけを読むと、ゲイが主人公のフィクションに今まではメインディッシュのように扱われていた愛だの恋だのセックスだのといった要素は前面に押し出されていないようにも見えます。――とかいって、これ、朝日新聞に連載されてたんですよね? あんまり見当はずれなこと言うなよーと、すでに全編を読んで、嗤っている人がいるかもしれない。控えます。ただまあちょっと、アンテナにはぴくりと反応したかなということのみ伝えておきます。