「同日同刻」読了

 開戦時と終戦時、当時の人びとがなにを思っていたのかを探るにはとてもいい資料なのではないでしょうか。とくにぼくのような、歴史初心者にとっては。山田風太郎著。(著というか編。)金井美恵子は、8月と12月にときおりこの本を読み返すそうだよ。果たして、どういうことが書いてあるのかというと、

「夜一時半か二時頃だったと思うのですけれど、ひとりでぶらっと銀座に出たのです。ものすごい月夜で、銀座から神田、築地あたりまでずっと一面の焼け野原で、人っ子ひとり、犬一匹通らないのですね。もちろんB29も飛ばない。戦闘機も来ない、空というものを思い切り、安心して仰げるという気がしたのです。空というものはこんなにきれいなものだったかと思ってね。それから同時に『助かったなあ』という気持ちがしたのです。そのくせ、非常に、なんともいえん悲しみ、敗戦の悲しみといったようなもので、ぽろぽろぽろぽろと涙がこぼれるのです。しかしそれと裏腹に、ああ、これで助かったな。よく助かってきたものだなという気持ちと、いろんな複雑な気持ちがからみあっているのですがね。それと、われながら愕然としたことは、ものを考えるのに、ふと気がついたのは、ぼくは英語がしゃべれないのですが、そのくせ英語でものを考えているのです。それでぼくは、われながら愕然として、なにか自分の中に非常に不気味なものが潜んでいたのに気がついてどきっとしましたね。とにかくあの晩の銀座あたりの鬼哭啾々というような月夜の風景には、ちょっとすごいものがありましたね」

 1945年8月15日、朝日新聞社社会部長、荒垣秀雄のはなし。本書の中で、いちばん無難なのではと思える記載。(この時点で、既に彼は玉音放送のことを知っていたらしいです。)他にも――主に作家の記録が多いのだけれど――有名無名の人びとの語るもしくは記す、副題にあるように、「太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日」。この本で、ぼくははじめて鈴木貫太郎の名を知ったよ。必読。は大げさかと思いつつ、まあその範疇に入れてもおかしくはない本かと。