『犬身』読了

 ある種のセミって素数年ごとに地上に顔を出すって言うじゃないすか? 17年ゼミとか。てなことを、ここんところきちんと7年ごとに小説を発表する松浦理英子氏を見ていて思ったりもするわけです。そうそう、『裏ヴァージョン』から7年目。来るか、来るか、来るかと待ち望んでたら、来ましたねー。うれしいかぎりで。装丁は、毎度おなじみ、ミルキィ・イソベ。感涙にむせびます。
 って、何を自分は最初に「犬」ではなく「セミ」の喩えなんかを持ち出してんだか……。えーっと、「犬身」は「献身」で、もちろん「変身」にもつながっているわけです。(何言ってんだか。)……ええーっと、たぶん、この先、「面白かった」「泣けました」「人物設定が秀逸」「ページをめくる指が止まらなかったです」等の賛辞はあちこちで見かけることになると思うから、ここではやや逸脱したことを書きます。
 ヴァージニア・ウルフって、あれ、夫の「ウルフ」姓が欲しかったから結婚したんじゃないの?(狼のwolfじゃなくWoolfだけど)との元・八束房恵さんのセリフ。うーん、ナイスです、これ。というか、もしかすると、この作品における要をあますところなく言い表しているのかもしれません。と、自分自身の尾骶骨にびびびと刺激が走るくらいに、気に入った細部。いや、気軽に気に入ったなんて言ってはいけないか。ここには、かなり、シビアな面も、含意されているのかもしれないから。(家庭環境に関する件。)ただ、こうした、この本のあちらこちらに埋め込まれた犬文化の記載には、やっぱり胸が震えたな。円山応挙の仔犬の扇子は、是非ともぼくも欲しいです。