『古道具中野商店』/『夜の公園』読了

 だいたい同時に書かれていた、と見なしてもかまわないと思うんですよ。この川上弘美氏の小説2作って。巻末の初出覧を見ると、『中野商店』が「新潮」2000年3月号から2005年1月号まで、『夜の公園』が「中央公論」2002年9月号から2005年6月号までとなってるし。でも、なんすかねえ。このベクトルの違いというか、幅の広さというか……。掲載誌のカラーの差異を遙かに凌駕している、そんな気がいたします。
 たしかにどちらも恋愛がたくみに組まれた小説ではあるのだけれど、前者が、好意を全開にした世界だとすれば、後者の、あのぎすぎすとした荒涼感(つまりは、憎しみに拓かれた世界)……。荒涼感、というのはいい過ぎにしても、まあはっきりいって、これほんとに同じ作者によってによって描かれたのかな? とそんなうがった思いを抱いてしまうのは果たしてぼくだけなのでしょうか? きらいではないのですが。『夜の公園』の荒み方って。基本、三人称で書かれているから、さほどディープな味をこちらに突きつけてくることはないし。もちろん、文章のうまさによって救われている部分は多分にあるのだろうけれど。
 ひるがえって、もう「好き」ということになんら躊躇を覚えない『古道具中野商店』における魅力というのは、もちろん、本篇に純粋に内包されているそれもけっして軽視できないとはしつつも、個人的には、「各読者はいかにしてこの本を受け止めているのだろうか?」ということを想像する楽しみも決して捨ててはおけないような気がするのです。わかりづらい書き方で恐縮ですが、これから新たに読むひとの楽しみを減じさせたくはないので。といいつつ、もしかすると、この件に関しては、また後で触れるかもしれません。「一冊の本」で、小谷野敦氏が川上氏の小説をどのように読んでいるのかを知った際に思ったのですが……。