『小林秀雄の恵み』読了

『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』の際には、いちおうこちらも三島自身の作品に触れたことがあったから普通に楽しめることができてもなんら不思議はなかったのだけれど、今回は……。小林秀雄というと、はっきりと「文学史の中のひと」という認識しかなかったし、本居宣長にいたっては、なんすかねえ、「はしごのひと」? そのくらいしか、想起させるものがなかった次第であります。なので、ほんのちょっとばかり購入するのに二の足を踏んだのは確かなのだけれど、書店でぱらぱらとめくった際に、「あ、これは面白い筈」と直感が働きレジまで持っていき、そして結局その直感に裏切られることはなかったのだから、まあ、やっぱり、好きなんすねえ。橋本治氏の語る世界そのものが。
 2007年12月。新潮社刊。作中で言及されている『デビット100コラム』の「『本居宣長』——書評」にも、今回はじめて目を通してみましたよ。橋本治、37歳で小林秀雄の『本居宣長』を読み、そして激しく感動した際の記録。本人(橋本氏)は、『小林秀雄の恵み』で、〈その文章をここで掲げてもいいのだが、それをしても意味がない〉と謙遜なさってますが、そうかしら? 意味は二重三重にあるような気もしますが。つまりは、基本的な考え方にブレがないこととか。〈(将来)『小林秀雄』という本を書くことになるような気がする〉、でもそれはまだ〈メンドクサイ〉とその時いってたこととか。
 小林秀雄の『本居宣長』といえば、これもまた橋本治氏の『行き方』で、当時(1977年)4000円で売られてたということを知りました。4000円かあ……。んでもっても、ベストセラーだったんですって。橋本氏が抱く〈小林秀雄が読まれた時代の、日本人の思想が知りたい〉というモチベーションは、この件とも密接に関わっているような気がします。当時の空気を知らない人間としては、漠然と想像するより他ないのですが。
 にしても、将来「橋本治の恵み」に類する本を書くことになるひとは、また渉猟すべき資料が増えてたいへんそうですねえ……。(あ、それこそが「恵み」か。)