実感的スポーツ論

 あるとき、引用は、ひかえようぜ、と決心したものの、もろくも崩れ去る。すいません。とあやまっておいて。上記『野口体操入門』に引用してあった、三島由紀夫「実感的スポーツ論」(『荒野より』)を孫引き。

「たとえば私は空想するのだが、町の角々に体育館があり、だれでも自由にブラリとはいれ、稀少の会費で会員になれる。夜も十時までひらいており、あらゆる施設が完備し、好きなスポーツが気楽にたのしめる。コーチが、会員の運動経験の多少に応じて懇切に指導し、初心者同士を組み合わせて、お互いの引っ込み思案をとりのぞく。そこでは、選ばれた人たちだけが美技を見せるだけではなく、どんな初心者の拙技にも当分の機会が与えられる。……こういうスポーツ共和国の構想は、社会主義国でなければ実現できない、というものではあるまい」

 へー、今では、こういうのがあちらこちらにあるよね。と、正直、その慧眼(ではないか?)に感心してしまった。ということがいいたかったので。単純というか。リアルタイムで三島に接していたらけっこう心酔していた可能性もあるのかしら? つか、上で使われている「実感」の文字には、ええ、実のところ、共感してしまったという次第。