『変えてゆく勇気』読了

 義の人だなあ。上川あや氏。後光も見えます。などと調子に乗ったことを書いてはいけない……。ぜんぶがぜんぶ、というわけではないものの(当たり前だ)、氏が受けてきた心の痛みは、少なくとも、そのエッセンスのようなものは、こちらの心身にまで染みこんできたような気がします。気がするだけじゃしょうがないのですが。つまりは、言語(及び話題)選択がうまい、ということです。うまい、というのもまたあれなのだけれど、純粋にクオリティとして舌を巻いた、ということで。例えば――ちょっといじくりますが――<法律は、排除の状況や残酷な現状を変えるために打ち込む楔にもなる>(p.213)というフレーズ。この「楔(くさび)」の用い方は、キャッチとしても秀逸っすよね?
 前に、笙野頼子×松浦理英子対談本を読んでいたとき、「女というコノテーション」(正確には「女だというようなコノテーションを発していないと売れない」)という表現があったのだけれど、その伝でいうと、この『変えてゆく勇気』には、そうした「女というコノテーション」が、注意深く省かれていたような気がします。だから、「気がする」だけじゃしょうがないのですが。そこらへんの扱い方も、かなりにていねいだったという印象を持っているのは、はたしてこちらの考え過ぎというものでしょうか?(コノテーションなる語を咀嚼し切らぬまま書いてしまったから、あとでここを読み返して赤面するかもしれない……。)2007年。岩波新書。かるく先週の『カミング』関連で手に取り感嘆した書であります。