『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬPART2』読了

 なるほどなあ、と感心するのは、憤りをそのまま表現するより、その憤りを感じた内実(滑稽さ)の方を表に出す方が文章としての効果が高い、という説においてなのだけれど、まあこれも——月並みなようだけれど——誰もができるわけではないよなあ。少なくとも、いまの自分には、むつかしいっす。ここに載っているような、底辺に憤りがありつつも、読む側としては爆笑してしまう文章など、とても書けない。世の中には「悪口の才能」ということばもあるけれど、それともまたちょっと違うような。(「悪口」ではないし。)ふろくのしおりで、金井美恵子氏は「日々の訓練」「文化的な努力のたまもの」だといっているのだけれど、いったい、どんな「訓練」「努力」をしているのだろう?
 個人的には、パート1よりも年代になじみ深かったせいか(1990年〜1993年)かなりパワーアップしているように感じられました。憤りにおいても、それから、その逆においても。葛粉を舐めた中上健次がほほえむくだりなんて、どうしたって、胸に染み入る。1993年。日本文芸社刊。金井美恵子著。