ライバル関係

 水木しげる手塚治虫をモデルに「一番病」なるマンガを描いたと前に書いたが、もしかすると、「火の鳥鳳凰編は、手塚治虫水木しげるをモデルに描いたのでは、とふと思ったり。あの主人公は水木しげると同じく片手、だしなあ。しかも怪物画が異様に上手かったりするし。最終的にはその主人公、もう片方の腕も切られてしまうのだけれど、そのきっかけを作った男の性格って、なんか「一番病」と評してもいいパーソナリティーだったような。わかりにくいっすか? つまりあのマンガって「手塚治虫VS水木しげる」の構図をそのまま模してるようだってこと。穿ち過ぎか。

お買得だった

 昨日買った「新潮」をぱらぱらと。はっきし言って読むの遅いです。そんな中でも掘り出し物がいくつか。つまり「記憶に残るだろうな」という物件。池澤夏樹「人生の広場」(村上春樹によくこうした会話系の短編があるよね)。町田康一言主の神」(笑った笑った。町田康ってこんなにおもしろかったっけ?)。絲山秋子「袋小路の男」(うわさの「川端文学賞」。かわいい純愛。静謐ってこんな感じ?)。年表もふわーっと眺めて懐かしがる。けっこう楽しい。

自然の必然

 養老孟司死の壁」読了。昨年の「バカの壁」で思った「これって今までの二番煎じじゃん」を今回はさほど感じなかった。本人は謙遜してそんなことを言っていますが。中に「死とウンコ」の関連について考察している箇所がある。つまり、脳の扱える範囲外としてこの2つは同等だよって話。昨年の12月に「ウンコが厭われるのは脳化社会における必然である」と書いたことがあるのだけれど(そして養老先生はまさかそんなことは書かないだろうなと思ったのだけれど)今回バッチリ扱ってて、なんか嬉しい。次はセックスにまで言及するかな?

vulnerability

 いじめにより団結する人間の本能、みたいな話に、「息子が老親を虐待するケース」ってのは当て嵌まらないか、と思いつつ、今回のイラク人虐待のニュースに、「これはそっち系なのかな」と思って、まあ思ってもしょうがないだけれど、とにかく、いやーなニュースだなあと重ねて思う。で、さっき書いて消してしまった、「塾の教師が子供たちを虐待する」ってのは、どう扱えばいいのだろう、そういう事態に、不本意ながら巻き込まれてた時期があるので、とちょっと思い惑う。関係あるのかないのか、大江健三郎の文章に、よく「vulnerability」ってのが出てきますね。意味、「攻撃を誘発されやすいこと」。攻撃を誘発されやすいイラク人、攻撃を誘発されやすい老親、攻撃を誘発されやすい子供たち・・・なんてね。たぶん現地ではこの単語が乱れ飛んでいるんでしょうな。あ、イラクでの話です。

雑記連発

 しばらくこの「雑記」方式で続けていこうかなと思っております。しかし、文章を書くことで精神が静まるなんてのは、あまり期待しない方がいいですね。よく見かける言説ではあるけれど。橋本治は、文章を書くことと酒を飲むことを同一に捉えてて(確かにどっちも「酔い」がある)、つまりは「楽しくやろうよ」ってことらしいけれど、まあそうできるように心がけます。

びっくりした

 上記「vulnerability」がはてなキーワードに登録されてて、まさに「へぇ〜」であります。80年代に山口昌男が「攻撃誘発性」の訳で日本に紹介、か・・・。今年の1月、生の山口昌男氏を目にする機会があったのだけれど、うーん、言葉に迷うなあ、つまり「かなり御高齢化されてました」ってことです。

母の日

 花屋にて。140円を手にした女の子が「これで買える母の日用のプレゼントありますか」と訊いていた。どれどれ、と店員の女性が親切に対応していたけれど、こういうのをないがしろにしちゃいけないよね。(でも結局何を買ったのだろう?)