4兎

 いろんなことを欲して、結局手に入れられなくて、なんなんだろうなこれは、と歩きながら考える。そういう傾向が染み付いてて、なんとかそこから脱したくて、でも、そんな風にして、変えようと思った様には決して変わらなくて、そんな現状を前に、いま少々脱力気味。根本的なところで、それでもやっぱり変わってないから、もう、変えるとか考えるとかそういうレベルの困難ではないのか。どうなんだ。
 ときどきこうしてナーバスになる。「“好き”には意味がある」と某心理学者が言って、長年それを信仰していたけど、でも、そろそろ構造疲労が出てきたのかも。芯は変わらず。影響力が変わる。僕の“好き”は、表に出さなくても済む“好き”だから、他人の「えーっ、どこがいいの?」という声で揺らぐような“好き”でもあり、そんな“好き”に意味なんてない。のか。どうなんだ。