学会顔

 先々週の週刊新潮で、池田晶子が困惑していた。「新・考えるヒント」が学会員専用の雑誌で褒められていた由。「信仰する、ではなく、信仰するとはどういうことか、について書かれている私の本が、どうしてあのひとたちに理解されたのだろう」と。そこで思い出す断片。
 私が今まで会った学会員のひとって、若い子に限っていえば、みなきれいな顔をしていた。男女を問わず。どうしてなんだろう、これは。とちょっと疑問を抱いたことがある。こうして、いろんなことを思い悩まずに過ごせるからかな、とはなはだ失礼なことを思ったり。まあ、彼ら彼女らはそれぞれ違う意味で大変そうではあったけど。高校のクラスメートMくん、まだハンサムでいるかな。修学旅行で私の夢を見たなんて言ってたけど、どんな夢だったんだろう。それから、仕事先で、私と顔を合わせた2日後にピアス5つも開けてたIさん。元気かな。正直、彼女が学会員でなければお近付きになりたいと画策してました。陽光の下、輝かんばかりの笑顔で挨拶したときの映像は今も脳裏に焼き付いてる。あのすなおさも信仰心のたまものか。とかいって、選挙の際にはいささか閉口した口ではあるけれど。学会といえば、この「若者がきれい」と「公明党」、「葬式が大変」、あと芸能界のAやBの顔が思い浮かぶ。そう、「学会顔」って、若者に限れば、やっぱりあるような気がするんだよなあ。