成孔本、シンクロ孝

■昼過ぎまで眠る。外は暴風雨が荒れ狂うことなく案外静かだったので、予定を変更して外出。ジャムとベルトと耳栓を買う。途中、東京国立近代美術館でやっている「琳派 RINPA」展のポスターを見て「行きたいな」と思う。特にこのジャンルに詳しい訳ではないのだけれど。夕刻プール。クロールで1200M泳ぐ。
菊地成孔著「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」(小学館)をぱらぱらと。平田オリザが指摘しているように、1962年前後に生まれた人間は、そのサブカルへの偏愛が他の世代に比べずいぶん肥大している印象がある。(菊池は63年生まれ。)ヲタク、というのとは又違う、何と言うか、「狂」を孕んだ愛。そうした愛情を、人生を渡っていく上で、びしばしと武器として利用している感じ。タモリオザケンに関する文章は、読めて幸せだった。
■「エスパー魔美」で高畑和夫くんが言うことにゃ、予知能力ってのは一番超能力の中でうさん臭いんだと。つまり、「数打ちゃ当たる」方式、雑多な予言をばんばん言っても、その中で当たった分だけひとは覚えてるもんなんだって。と言いつつ、平成16年の半ばにブレークしつつある細木数子の「外れた予言」なんて、けっこう多くのひとが覚えてそうだけどな。まあ彼女にしたって「当たった予言」があるからこそ現在の地位を獲得しているわけで。って別に細木数子の人生にはあまり興味がないのだった。興味があるのは、いわゆる「シンクロニシティ」という現象。“共時性”ってやつだ。Aが起きたと同時にBも起きた、わぁすごい偶然、この偶然には何か意味があるのではないか、ってやつ。穿った見方をすれば、これだって、まあけっこう長く生きてりゃふつうにあるよな。で、またそういうのに限って記憶に留まりやすかったりする。冷静に見れば、ここには何の不思議もない。つまりは、意味なんて何もない。ないのだけれど、なぜだか心揺さぶられるものを感じたりもする。恩寵というか救いというか。ただの偶然とは違う“仕組まれた偶然”。養老孟司によると、ここには「好き」だの「嫌い」だのの感情が働くから記憶の留まりやすいのだそうだけど、うーん、その「好き」だの「嫌い」だのの感情の大本を辿っていくと、いま、われわれがここにいる“偶然”なんてのが出現しそうでちょっと怖いな。怖くないか。