日本のボウリング史

 http://www.newbowlkatsurashima.co.jp/tisiki.html
 いつから日本でボーリングなる遊びが普及し出したのか。どうせ先の戦争で負けてアメリカに押し付けられたのだろう(パフォーマンス好きのアメリカ人にピッタリだもんね)などと思っていたのだけれど、1861年、オランダ人によって長崎に持ち込まれたというの史実らしい。オランダ人かあ。しかも1861年。同年1月ヒュースケン暗殺。んなことはどうでもよくて。しかしながら全国的に普及し始めたのは、やっぱり戦後。<1952(昭和27)年、日本の民間初のボウリング場、東京ボウリングセンターが港区の明治神宮外苑にオープン。一部の人たちの社交場として賑わいます。>これかあ。元凶は。元凶って言い方もなんだが。
 私事です。近々、社内恒例ボウリング大会が開催されます。「すいません、ちょっと用事があるので勘弁」なんていい訳は馬耳東風。右から左につき抜けてました。ああ、いつも思うんだが、“ファシズム”ってのはほんとうに根強く生き続けてるんだなあ。なんて。ウソ。ごめん。どうせ俺だけが「幽霊」っつーか「枯れ尾花」的なものに脅えてるだけなんだよな。といいつつ、ボウリングってどこか宗教っぽいところがあるよね。みんなで喜ばなきゃいけないところとか。そしてそこがなにより苦手だったりする。とても「ブラボー!」なんて言えないですよ…。オランダ人、余計なものを持ち込んじゃってまあ。
 穂村弘のエッセイ「もうおうちへかえりましょう」(小学館)、全国の教科書で採用してくれないだろうか。そうすれば、ちょっとは俺のこの感情も伝わりやすくなるのに。あそこでは、実に上手に「ボウリング、恥ずかしい」の気持ちが表現されているのだ。恥ずかしいというか、ほんとうはそんな生易しいレベルじゃなく、「死ぬほどつらい」が実情なのだけれど。(でも、やりますよ。今回は。約束したから。しくしく。)
 ふと思う。カラオケには立派な“ハラスメント”の冠を被せることは可能でも、ボウリングはいまだ盲点なんだなあ。