「文藝春秋」立読み

 だから「ドラえもん」という本じたいが22世紀から贈られてきたショッピングカタログなわけで。全ての広告があのくらい物語性を盛り込ませてくれれば俺も喜んで読むのだけれど、いかんせん、現代のほとんどの送り手はあれらを単なる情報伝達手段としかみなしていない。なげかわしいね。なに、物語を紡ぐのはこちらの想像力に任せてるだと? 冗談言っちゃいけない。物語を紡ぐにはある一定量の熱量を必要とするのに、その供給をさえ怠っているじゃないか。一定量の熱量。つまりそれは恥を忍んで言えば愛ということになるのだけれど、それにしても山田詠美芥川賞選評「この愛すべき現代のメタモルフォセスを推せる機会に恵まれて嬉しかった」発言はかなりこちらのツボをついてきたなあ。久々に彼女の「色彩の息子」なんか読み返したりして。あ、「愛すべき現代のメタモルフォセス」ってのは舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。」のことだよ。為念。はじめはこの「メタモルフォセス」イコール舞城王太郎じしんのことかと思っていたのだが…いや、案外そうなのかも。