サガン文

 本日付けの毎日・読売両夕刊で、田辺聖子フランソワーズ・サガンについての文章を書いてますね。へぇ、同じネタで2篇もよく書けるなあ。さすが小説家。と感心。確か先日瀬戸内寂聴も「水上勉」で同じことをやってましたね。ダブってる、とかそういうことを気にしなくていいのかな。各新聞、独自のカラーを打ち出す、とか。まあ人選はこれで正解なんだろうけど。
 にしても、サガン、そうか、年をとるごとに(少なくとも作品では)輝きを失っていったか。哀しい話だ。丸谷才一がこんなことを言ってたことを思い出す。「フランス人は神童をもてはやす傾向がある。だからサガンは駄目になったんだ」。野坂昭如だったかな。まあそこら辺の人だ。うむむ。日本人は、だいじょうぶか?という常套の締めを持ち出してくる前に、そもそも俺ってサガンでは「悲しみよ」しか読んだことないから、こんなえらそうなこと言える資格ないんだよなあ。新潮文庫の扉ページに載っていたデビュー当時のサガンの写真は、今もって印象薄れず。いや、その可愛さでね。(どうでもいいか。)