時計の死

 今朝目覚めたら、時計が止まってました。SEIKOの目覚まし時計。単に、電池が切れただけなんだろうけれど、2時20分を指したままで止まっているその時計を見てたら、ついつい村上春樹のエッセイを思い出してしまったり。あの、女友達の死と、彼女からもらった時計の死をかけてた奴ですね。まあ俺の場合は、特に何かと縁のある時計じゃないから、村上春樹のような詩的な感慨にふけるわけじゃなかったけど、それでも、昨夜夜中の大雨のことを思うと、ちょっとしんみりしたりはする。しんみりというか、何というか。雨と風が、窓ガラスを激しく打ち鳴らし、その時に嫌でも目が覚めて、イメージとしての「死」が頭に浮かぶ。時計は、その記憶に加担しようとするかの如く止まっていた・・・なんていうのは、やっぱりちょっとクサいですかね。でも、けっこうリアルな感慨ではありました。
 会社に着いたら、開口一番、同僚から「今朝目覚まし時計が止まっちゃって大変だった」とのセリフ。おお、シンクロニシティ、とちらと思いつつ、そんなことはおくびにも出さず、「へぇ、よく起きられたねえ」と通り一遍のことばを口から出してました。