ぼぎちん バブル純愛物語

こんなこと白状するのはものすごく恥ずかしいのだけれど、買ったことあります、福田和也の『作家の値うち』……。で、その本の中でずいぶんとこの小説、褒められていなかったっけ? 記憶違いかな? いや、そのあまりの熱の入れぶりに読んでみようと当時思ったのだけれど、果たせぬまま時は流れ、そして上の『ファッション ファッショ』で再会にあいなったという次第。
褒めてんだよなー、ピーコが。……と思って、改めて『FF』を読み返してみたら、ああ、褒めているのは白川道の『流星たちの宴』のほうだった。『ぼぎちん』は、この『流星』とセットで読むべし、みたいなすすめ方をしているのだった。(登場人物が一緒らしい。)でも、書店で『流星』をぱらぱらと眺め、あんまり食指が動かなかったので、バブル時代の女子の生き様への興味、および先の福田熱が、『ぼぎちん』購入へと突き動かしたのあります。
読んでみた。……なるほどなー。バブルのリアルは、『アッコちゃん』よりも、こちらにあるのかなあ。六本木と兜町という土地柄の違いは大いに関係あるのだろうけれど、なんというか、向こうは完璧に「おとぎ話」だからなあ。対するこちらはと言えば……えーと、「避妊リング」という単語、この本でひさびさに目にしたような気がする……。というくらいに、生々しい。別れ際のドロドロなんて、ほんと、「ドロドロ」なるオノマトペがぴったりくる「ドロドロ」。(正直、そこらへんはかなり胸焼け気味だった……。)ちょうど、この小説、『アッコちゃん』の裏に当たるということになるのかな? その視線の違いから。やや、時代はこちらの方が古い気はするけれど。『アッコちゃん』での「Santa-Fe」や「おどるポンポコリン」の頃は、さすがにこちらも知ってたからね。(ちなみに、解説は件の福田和也センセイ。<『ぼぎちん』が文庫になった。/〔略〕幸せなことだ。/著者にとってではなく、あなたがた、読者にとって>だそうです。)