文春/新潮

 吉田修一「初恋温泉」に、毎週木曜日、週刊文春週刊新潮のどちらを買おうか迷う青年が出て来ます。

 内容はどちらも似たり寄ったりのものだが、同じ事件を扱っていても、その見出しが微妙に違って、不思議と毎週すんなりとどちらかを選ぶことができる。

 ふーん。
 自分の場合、ここ最近は、文春は立ち読みで、新潮は買うというパターンに落ち着いてますね。よほどのことがない限り、例えば、阿川佐和子の対談で、ものすごく気になる人が出ていたりすると買ったりはするけれど。この前買ったのは、川上弘美が対談相手だった時かな、たしか。
 ただ、昔は逆に、文春ばかり買ってましたね。そうそう。ナンシー関が活躍していた頃だね。さっき、桐野夏生の「グロテスク」の文庫版をぱらぱらと立ち読みしていたら、後付に「2001年週刊文春連載」と書かれてあり、ああ、この頃の文春は、和田誠の表紙を見るだけでぶっ倒れそうになるくらい好きだったんだよなあってことを思い出しました。いや、ほんとに。人生における、カンフル剤だったんだ。おおげさじゃなく。
 これは、思い切り主観だけれど、文春は、連載しているメンバーの魅力に依っているところが大きいんですよね。匿名の記事よりも。ついこの間だって、安野モヨコとか劇団ひとりとかを採用し出したくらいだし。他にも、宮藤官九郎やら辛酸なめ子やら、あと5年くらい若かったら今でも買い続けていたかもしれない。(ちなみに、文春の立ち読みで必ずチェックするのは、高橋春男と伊藤理佐のマンガくらいかな。あと、亀和田武をときどきってくらい? ああ、5人の映画評もあったか。さすがにもう、近田春夫中村うさぎの文章まではカバーできなくなった。「家の履歴書」が再開されたのは嬉しい。)
 反感があることを覚悟で言うけれど、週刊新潮の匿名の記事は、共感するしない以前に、芸としてきちんと成立していると思いますね。まあ、興がっているということです。だから買ってるんだけれど。連載陣については、うーん、文春を好きだった頃と比べると、格段に、二の次になってますね。毎週必ず読むコラムって、存在しないしなあ。福田和也にしても池田晶子にしても。黒鉄ヒロシのマンガは、優れているとは思うけれど、身もよじらんばかりに好きというレベルにまでは達してないというのが実情っすねえ。
 あ、そうだ、忘れてた。今、週刊新潮で連載している小池真理子の小説は、かなりに面白いです。はい。70年代の学生運動をテーマに据えてるんだけど。「神田川」の世界っすよ。「赤い手ぬぐい・マフラーにして〜♪」みたいな。(違うか?)生存していなかったのに懐かしさに打ち震えてます。カタカナの「ビンボー」の世界。けれど70年代。「望みは何と訊かれたら」ってタイトルなんだけど。はじめての小池真理子。いい感じっす。
 まあ雑誌って、こうしたふだんの生活では絶対に接触できないような世界と出会える利点ってのがありますよね。