夜貘式

 大島弓子の「夏の夜の貘」に、まるで「綿の国星」のチビ猫、いやもっとわかりやすく言うと高野文子の「田辺のつる」みたいに、実年齢とはかけ離れた容姿で登場する小学生が出て来るよね。つーか、出て来るんだ。羽山走次くんつーんだけどね。ほんとは8歳なのだけれど、出て来る姿は立派な青年。つまりは、精神年齢がそのまま反映された姿で「夏の夜の貘」は展開されていくんだ。ということは、走次くんのまわりの大人も、みんなこうしたルールに則った姿で登場してくるわけで――大島弓子の自作解説によると、これって結局「魔法使い」のはなしということになっているのだけれど(最後には、愛の力で、お兄さんも実年齢にフィットした姿で立ち現れてくるしね)――まあそれはともかく。
 きのうさー、よしもとばななの公式サイトを覗いてたら、Q&Aに「文章を上手に書く方法」ってのが載っててね。それを読んでたらさ、なんか、上の「夏の夜の貘」で羽山走次くんが作文を書くシーンを思い出してしまったんだ。<まず、なにを言いたいのかをとことん考えれば、文章はあとからついてくると思います>ってやつなんだけれどね。似てるなー。つーか、姿勢はそのまんまだよな。いや別に上のばななの言葉がそのまま出て来るというのではなく、上の言葉に則った姿勢で羽山走次くんが作文を書いているってだけなんだけどね。だけ、ってことないか。
 良いと思うよ。お父さんが風呂に入っている間(そして出てからも)ずーっと身じろぎもせずなにを言いたいのかを台所のテーブルでとことん突き詰めて考えてる走次くんの姿というのは。そして、そうして出来上がった作文は、お母さんにも学校の先生にも受け入れてもらえないのだけれど、けれども、この作品内では唯一最初から実年齢と精神年齢になんの齟齬も来していない小箱さんに「すてきじゃない!!」と大感激されるくらいなのだから。うらやましいなー。自分が心底惚れぬいている人に「すてきじゃない!!」なんて感激されるなんてさ。前に綿矢りさが、受賞騒ぎの前に言っていた、「多くはいないかもしれないけれど、私と同じ感覚を持っている人は必ずどこかにいる。それだけは自信がある」なんて言葉も思い出したよ。せめて僕もこの場では自分が何を言いたいのかくらいとことん考えてから動き出そうかなあとちょっと反省したくらいだ。ついつい、考えるよりもまず先に手が動いてしまうからなー。