サド侯爵夫人

 美しい夫に執着していた妻が後年醜くなった夫を捨てる話――という風に、何も予備知識がないと解釈してしまうよなー。「サド侯爵夫人」て。橋本治の「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」では、こんな下世話な解釈を一蹴する、母親との関係を絡めた爽快な論が展開されているのだけれど(そしてそれを読んだ時には「なるほどなー」とふかく納得もしたのだけれど)、でもさー、やっぱり、容姿うんぬんを最後に出されると、どうしてもそっちに目が行ってしまうよね。駄目か? だってそもそもオレ三島由紀夫の実の母親のことなんて興味ないし。今んところって限定付きだけど。つーかさ、サド侯爵夫人の夫への見切りにこそ「サディスト」の正当な意味が貼り付けられそうな気がするよね。(あーちなみに「美しい夫」ってのがサド侯爵のことだよ。)未だにタイトルに目くらましを食らわされているだけか?
(あとさ、「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」って、吉田秋生の「櫻の園」と「河よりも長くゆるやかに」みたいちゃう? 男子校の話を描いたから、じゃ次は女子校を、て感じで。いいよなー。好き好き。)