生まれかわり

 アメリカ人は輪廻転生を信じてないってつい最近河合隼雄の本で読んだから、「記憶の棘」のストーリーに触れるたびに割に不思議な気分になるね。あ、「記憶の棘」つーのは、ニコール・キッドマン演じるアナって女の前に10年前死んだ夫の生まれかわりだと主張する少年が現れててんやわんやって映画だよ。幽霊やクローンやサイボーグならまだしも、生まれかわりかあ――と少し感慨に耽ったりしてね。
 いちおうその河合隼雄の発言を抜粋しとくか。こんな具合。

 僕はアメリカ人の友人に言われたことがありますよ。日本人は、アメリカ人だったらもっと生きようと思って頑張れるところで簡単に死んでしまうのは、絶対、輪廻転生を信じているとしか考えられないと。そう言われると、そうかいなあという気がしてくる。輪廻転生というのは日本人は、明確に「信じていますか?」と言われると、「いえいえ」というふうに言う人が多いけど、「信じていませんか?」と言われても「いえいえ」と言うんじゃないでしょうか(笑)。

「こころの声を聴く」より。ちなみに、語られている相手は村上春樹。(つまりは、「ノルウェイの森」がらみの自殺ネタ。)
「記憶の森」公開によって、アメリカ人の死生観にも影響が出て来るかな? まさかね。
 つーか、これって、輪廻転生というより、吉本ばななの「アムリタ」に出て来る、「2人分の記憶を持つ婦人」みたいなオカルトの世界に近いものなのかしら? 公式サイトのどこを見ても、「生まれかわり」の文字は頻出すれど、「輪廻転生」という言葉はないもんなあ。(あったら御免よ。)まあ、死というより、恋愛をテーマに絞った映画だからあれなんだろうけれど。そもそも、僕の持っている「輪廻転生」観が、若干のゆがみを内包してるだけなのかもしれないしね。
花椿」によると、かの地では、ニコール・キッドマンと少年が一緒に風呂に入ってるシーンにクレームの嵐が殺到しているらしい。クレームの嵐は大げさか。「物議を醸した」とのことだ。ふーむ。「ブリキの太鼓」みたいなもんかな? これはもう少し露骨に少年へのセクシャルなシーンだったっけ? かなり昔に見たので記憶は曖昧。海水浴場でのシーンだったと思うのだけれど。もし「記憶の棘」が、男女逆転バージョンだったら、つまりは、妻の生まれかわりを自称する少女と中年男の入浴シーンなんてあったりしたら、「物議を醸した」てなレベルのクレームじゃすまないだろうなともちらと思ったね。
(と、ここまで引っぱっといて何なんだけど、最後には「衝撃的な事実」が控えているらしいから、ここに書いていることは全くのとんちんかんなことになるかもしれないと断っておくよ。)