敬虔さ

 テレビで見るのと、実物を見るのとでは、またずいぶんとおもむきが違ってたなー。「新日曜美術館」での円空仏。もちろん、実物の方がはるかに敬虔さに満ちていた――と言いたいところだけれど、正直なところ、敬虔さにおいては、テレビで見たときの方が勝っていた。バックに音楽がついていたからかな? どちらかと言えばベタな演出と言ってもいいような、つまりは、やや過剰とも取れるような演出であったのだけれど。敬虔さ、というのは、むしろそうしたベタさというのが合っているのかな? 通俗さと敬虔さって、一見、相性が悪そうに見えるのだけれど、案外そうでもないのかもしれないな。ただ、ぼくとしては、東京国立博物館で見た、あまり敬虔さは感じられなかったのものの、そのぶんユニークさを愛でることのできた実物の方に、やっぱり一票を投じたい気分ではあるんだ。これもまた判官贔屓ってやつかな? 同じもの、ではあるんだけどね。