多和田葉子に朗読してもらうんだったらこの文がいいな

 ざんねんながら、日本で多和田葉子が朗読業を営んでいるのか否かはわからないのだけれど(「業」なのか?)、営んでいると仮定して、新刊「アメリカ 非道の大陸」の中でどこを朗読してもらったら嬉しいだろうとかんがえると、ぼくとしては、以下の文章になるんだな。

 文字たちは、ひきあげられる網の中でのたうちまわる魚のしっぽのように跳ね乱れ、明らかにあったはずの漢字の記憶をなぞりながら、倒れる前のサーファーのように波頭からずれ落ちて、分かりそうで分からない新造文字へとくるくる変身しながら、行の終わりにはもうあなたにはついていくことのできない海底に向かい沈んでいった。

 ……P.45、日系の青年に、日本語で書かれた詩を読んでくれと頼まれた主人公が、はたと困ってしまうシーン。
 うまいよなー。ひきあげられる「網」、のたうちまわる「魚」、倒れる前の「サーファー」、これらがすべて最後の「海底」のイメージへと収束していく。くるくると変身しながら。
 P.19からP.21にかけての、中国系の少年が「もしも金があったら」ではじまる詩をとくとくと読んでいくシーンにも捨てがたいものがあるけれど。ただちょっと長いし。
 そんなわけで、ぼくは上の抜粋箇所をキープしておきたい所存。関係者の方々、ここはひとつよしなに。