「救命艇」

 ヒッチコック1943年の作。原案はジョン・スタインベック、ということらしいけれど、ヒッチコックは彼の脚本が気にいらなかったみたい。他の人に頼んで、それさえもなかなかの渋めの出来だったようだ。大戦中、ドイツ軍により破壊された商船の乗客たちが乗り込んでいる救命ボートに、当のドイツ軍のひとりが逃げ込んできて、さてどうなるかといったお話。前作「疑惑の影」はかなりぽんぽんとテンポよく進んでいたのが、こちらはわりにゆったりムードだったね。まあサスペンスではないし。実験作のひとつとして捉えればいいのかもしれない。なにせ、全編、救命艇の中でしかドラマが展開しないのだから。常に自作にカメオ出演するヒッチコックも、この映画では(まさか海上に漂う死体の役をやるわけにもいかないし、ということで)登場人物の読んでいる新聞広告の中に「出演」。架空のやせ薬の広告で――150kgが100kgになったそうな――それが唯一この映画における息抜きだったかな。あ、主演のタルラ・バンクヘッドの貫禄に満ちた演技はかなりよかった。低めの女性の声ってわりに好きかも。