文法警察のシェパード

「敷居が高い」というと、ぼくなんかはふつうに「一見さんお断り」とか、そういう、容易にコミュニケーションを取らせないような対象のことを頭に思い浮かべてしまう。だから、とうぜん、その逆の「敷居が低い」なる表現も、ぜんぜん自分の中では平気に存在している。辞書的には違うんだろうけどね。広辞苑では、<不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい>なんて説明が割り当てられてるくらいだし。つまり、「敷居が高い」における意味上のポイントは、正確には「不義理」や「面目ない」といった、既知の人に向けて発せられるものなんだろうなというふうに(ぼくの場合は)認識している。とすると、上に書いたような、「あの店ってなんとなく敷居が高そうだよね」というのは、誤り……ということになるのかな? どうなんだろう? いまいち、自信がないな。ただ、新聞で、まさに「一見さんお断り」の意において「敷居が高い」が使われていると、けっこうびっくりするね。というか、多和田葉子の言うところの「文法警察のシェパード」が、バウバウと騒ぎ出す。あ。これは別に文法警察の管轄じゃないのか? (その前に、<ぜんぜん自分の中では平気に存在している>っていう文の方がよっぽど危ないんだけどな。)

多和田 (略)フランス語もやろうかなと思って大学の時ちょっとやり始めたんですけれど、続かなかった理由は、フランス人の先生は、文法を間違えると直ぐ本気で怒るんです。それがいやで、今でもそうだなと思うんですけれど、フランス人って文法を間違えられるのがきらいじゃないですか。ドイツ人は、文法の間違いに対して心から不愉快そうにするということはありません。アメリカ人なんかは、どんなに間違えても、間違えたことではなく、表現されたことに対して最大限に反応しようとするから、とても気分がいい。
野崎(歓) ううむ。教師としても悩むんですよ。たとえば過去分詞の性数一致とかで、eがついていないとかいって点を引いたりするとき、自分が浅ましい人間になったような気がするのね。「コロンブスの犬」じゃないけれど、おまえ、何の犬になったんだと。
多和田 文法の犬。文法警察のシェパードです。

 2004年のユリイカ「総特集 多和田葉子」より。
 ――いま、これあらためて読み返してみると、どちらかといったら、「間違いをチェックする犬」というより「権威にへつらう人の比喩」として用いられてるって感の方が強いねえ……。でもまあいいか。かわいいから。(バウバウ。)