坐りますか?

 小説云々はさておき、下のような文章を読むと、ああ、せめて机の前には毎日坐っておかなければなあと、ふんどしを締め直す気になります。よぉし、じゃあさっそく、毎日坐るか! と決意した今日がその初日。2000円の座卓も、隣の部屋に片付けてしまいました。あれはあれで、とてもチャーミングな家具なんですけどね。
 宇野千代著「行動することが生きることである」より。

 ものを書こうとするときには、誰でも机の前に坐る。書こうと思う時だけに坐るのではなく、書こうとは思っていない時にでも坐る。この机に前に座ると言うことが、小説を書くことの基本です。毎日、または一日の中に幾度でも、ちょっとでも暇のあるときに坐ると言うのではなく、毎日坐るのである。
 坐る、と言う姿勢が、あなたを規制します。不思議なことですが、ほんとうです。あなたは坐ったら、何をしますか。どうしても、何か書くしかないでしょう。この、毎日坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。机を前にしたら、どうしても書かなければならない。では、何を書くか。
 何を書くかは、あなたが決定します。しかし、間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに、誰も書かなかった新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に坐っている瞬間に、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。「雨が降っていた」、「私は腹を立てていた」、「また隣の娘が泣いている」という風に、一字一句正確に、できるだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて、大きな物の書ける基本です。

<あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません>ですって。あいたたたたたたた、です。耳が痛い……。