「大江健三郎 作家自身を語る」を買ってきた

 なるほどなあ、と感心するのは、流行っているから、という理由ではないのだろうけれど、「大江健三郎 作家自身を語る」という聞き書き形式で記された本がひじょうに読みやすいということです。といっても、まだ買ってきたばかりだから第1章しか読み終えていないのだけれどね。でも、例えば、大学に入って、始めて渡辺一夫先生の授業(もしくはオリエンテーション?)に出たときの記載、

 今、この時間から新しい人生が始まる、そう思いましたよ。

 なんて、うーん、ぼくみたいに口語文化で育ってきた人間にはとっても染みこみやすい文章ではあります。こっちも思わず釣り込まれて(関係ないのに)高揚してしまいそうになったりしてね。

 電子計算機のボタンを押すと、三次方程式でも何でも、一挙に答えが出るように、人間も考えれば、一瞬間で答えが出る、それが考えるということだと思っていた。そのように答えを出す人を、尊敬していたんです。考えるというのは、天から降り注いでくるような力で答えを与えられることなのに、自分はのろのろ考えないと結論が出てこない、だめな人間だと。それが、言葉一つひとつ積み重ねて、固めていくのこそ、考えるということらしいぞ、と気が付いたんです。

 国民学校四年時の「発見」の記載。
 人の目を気にして、というか、他の人が気に入る、と思うような言葉ばかりを選んでいたら、それこそ、他の人が気に入る、と思うような考えにしかたどり着けないもんなあ――などと、柄にもなく(釣り込まれて)しゃちこばったことを書いてみる。