金閣における三島タブー

 橋本治「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」より。金閣寺の、写真掲載拒否に関するエピソード。

 数年前、私は『ひらがな日本美術史』という本の二冊目を出した。日本美術史の本で、鎌倉時代室町時代をその範囲にする。そこで、室町時代の建設として、金閣寺を取り上げた。元の原稿は、雑誌に掲載されていたものである。雑誌掲載の時、その原稿の横にはちゃんと金閣寺の写真があった。単行本になった時、そこに金閣寺の写真はなかった。金閣寺側から掲載を拒否されたのである。理由は、私の書いた原稿の中に、三島由紀夫の『金閣寺』が登場するからである。雑誌掲載の時は、そのことを知らなかったらしい。しかし、単行本掲載の時点で拒否された。「三島由紀夫金閣寺にとってタブーであるから、三島由紀夫がそこにある以上、写真の掲載はできない」ということを、いたって遠回しに言われたと、私は担当編集者から聞いた。

「いたって遠回しに言われた」の「いたって」というフレーズが、なんとも素敵ですね。誤解を恐れずに言うならば、自分の中の金閣寺像と、寸ともぶれない。もちろん、上記展覧会では、三島の「み」の字も見られなかったです。