『遠い朝の本たち』読了

 ひさびさに、来た。何がかというと、両腕に走る電流。雷に打たれたようなショック。というのを地で行く感覚。30過ぎたら、もうぜったいに味わえないと思ってたんだがなあ。うれしい誤算。といっても、決して衝撃的な内容というのではなく、こんなことをいうのはほんとうに恥ずかしいのだけれど、恋に落ちる感覚の相似形なんだな。 
 須賀敦子氏というと、枕に「文章がうまい」が付く、というのをさんざっぱら目にしていつつも、その実態に触れる機会がなかなかなくて、川上弘美氏の書評集『大好きな本』に、このエッセイが取り上げられていたのをきっかけに、正直あまり期待しないで読んだら――なにせ「時期はずれだしなあ」なんてしつれいきわまりないことを思っていた――これだ。まいるよね。
 だいたいじぶんの場合、恋に落ちた瞬間というのは、後から振り返り「あれだった」と特定することが可能で。まあみんなそうか。ちがうか? それをこの本にも適用すると、ちくま文庫版の29ページに登場する、そっくりかえったカエルの比喩。ここが、ぼくにとっての、文字通りの、分水嶺でありました。普遍性があるとはとうてい思い得ないけれど、まあ、「落ちる」瞬間っていうのはみなそういうもんじゃない?
 一応、この書の概要はというと、

 一人の少女が大人になっていく過程で出会い、愛しんだ文学作品の数々を、記憶の中のひとをめぐるエピソードや、失われた日本の風景を織り交ぜて描く。

 ちくま文庫版背表紙より。どういうわけだか、この「失われた日本の風景」に郷愁を感じたりもしていました。見たことない筈なのにな。