耐えられないほどではないけれど

 それでもやっぱり、笑わせる意図のない小説で、お年寄りが「わしはそんなことをいった覚えはないんじゃ」などと口にしているのを見ると、「わし」だの「じゃ」という存在の方に目が奪われてしまう、というところはありますね。音で聞くと、また違う感想(違和感なし?)を抱くのかもしれませんが。
 いや、それにしても、ぼくなどは、実際のお年寄りが、「わし」とか「じゃ」を口にすると、え? と、立ち止まってしまうところはあります。今までそんなことを口になどしていなかったのに。年寄りの「真似」をしているのかな?(もしくは「ボケ」が始まったのかな?)と、質問したりはしないけれど、そうした瞬間を、今でも覚えていたりします。
 ああ、これは、はるか昔に読んだ筒井康隆氏の小説のせいかなあ。タイトルは失念、標準的方言、というものを喋る男が、主人公に徹底的に訝しがられる話だと記憶しているのですが。「オラそんなこといってねえだよ」とかね。そんな方言は存在しない! と、主人公は怒るものの、男は構わずにそうしたことばをえんえんを喋り続ける……。(『48億の妄想』だっけ? マスコミネタだったから。)
 でも、行くところに行けば、「わしはそんなことをいった覚えはないんじゃ」と喋るお年寄りも、存在はしているのだろうなあ。そうは思う。でも、ぼくは、ここにリアリティを感じ取ることはできずに、逆に、「老人性の演出」という作為を、感じ取ってしまうのです。山田詠美氏も(これも記憶は不確か)黒人奴隷が「オラそんなこといってねえだよ」といったことばを放つ翻訳小説に嫌悪感を示していなかったっけ? まあ、しかたのないところもあるかもしれません。そもそも、外国語をなにひとつものにできていない人間が、そうした言葉尻等について云々する資格はないのだろう、とは思う。んー、それでもなあ、やはり「わしはそんなことをいった覚えはないんじゃ」というのはなあ……。2520円もしたんだし……。って、こっちの財政事情については、いいか。