新潮文庫の三浦しをん

 なんだか三人官女と五人囃子みたいっすね。いや、『秘密の花園』と『私が語りはじめた彼は』の関係が。関係、って、この2作には、ただ著者がいっしょという関係しかないのだけれど。それをさえ、関係といっていいのかどうか躊躇われるものはあるのだけれど。
秘密の花園』が女性3名による語り、対する『私が語りはじめた彼は』が男性5名による語り。というわけで、三人官女だとか五人囃子だとかいうような(勝手な)連想が浮かび上がってきたわけなのだけれど――だとすると、同じ新潮文庫の背表紙マゼンタ組『格闘するものに○』が内裏雛に相当することになるのかというと……それは、かなりに無理があるかな? デビュー作、ということで、アダムとイブになぞらえてもぼくとしてはぜんぜんかまわないところではあるのだけれど。
 とにもかくにも、特に『秘密の花園』にはかなり驚きましたね。いい意味での驚き。まったく、『格闘するものに○』のトーンとは違ってるんだもんなあ。漫画をギャグとシリアスで分ける、という世界観ももしかするともうかなり時代遅れになっているのかもしれないけれど、しかし、そうした世界観を思わずなつかしさと共に援用したくなるような作品でした。つまりは『格闘』がギャグで、『秘密』がシリアス。カトリック系女子校における生徒3人のモノローグ。
 いまぱらっとページをめくってみたところ、「小机駅」とかいう駅名が出てきます。今回はじめて知りました。きれいな駅名だなあ。というか、この小説に出て来る他の地名にもこのような感嘆の念を禁じ得ないところがありましてね。またぱらっとページをめくってみたら、「白楽駅」なんてのも出てくる。んー、んー。うつくしいなあ。しかし、なにより、主人公のひとり、「五十嵐那由多」というネーミングセンス。ううううーん。これが、個人的には、かなりにツボでして。
 職員室のすみで密やかに交わされる少女ふたりの会話の抜粋。

「坊家さんも、なにもこんなに少ない数の中から男を選ぶこともなかったのに」
 灰色の事務用の戸棚に寄りかかって、平岡の様子を眺めながら那由多に小声で話しかけた。那由多は足元に視線を落とし、床板の間に挟まっている埃を上履きの先でつつきだそうとしている。
「何億人の男がいたって関係ないのよ。たとえ離れ小島に二人きりでも、その相手を好きになってしまえばそれが恋なんだから」
「それは錯覚というものじゃないの?」
「だからそれが恋なんだってば」
 ああ、なるほど。すこし納得してうかがい見た那由多の口元は、なんだか笑いを含んでいるみたいだ。
「那由多の経験から導き出された貴い結論がそれなのね?」
「意地悪言わないでよ、翠」
 那由多は顔を上げて今度ははっきりと笑った。「あなたも浴びるほど読んでいる少女漫画から学んだことに決まってるでしょ」

 ううう。たまらんなあ。言語センスに欲情、というか。すいませんね。きもちわるいっすね。すいませんついでにいえば、まだ、『私が語りはじめた彼は』の方は、1回しか読んでないんです……。(今2度目読み途中。)この連作集、『秘密』さらには『格闘』を含め、どれひとつとしてナラティブの性質として重なるものがない!(つまりはキャラがかぶってないということ)というのは、やっぱり驚嘆に値すると思うのだけれど、こういう驚きこそが、すでにもう時代遅れなのかな? ナラティブが重なっていない、ということでいえば、少なくとも新潮文庫における怒濤のエッセイの数々(『しをんのしおり』『人生激場』『夢のような幸福』『乙女なげやり』)とこれら小説との距離、というのもまたそうとうなものがありますね。すばらしい筋力だと思う。
 というわけで、現時点における新潮文庫三浦しをん7作品は、すべて通読。こんなことをいう必要はないのかもしれないけれど、ぜんぶブッ○オフで入手。ないんですよね。意外に。人気者だから、どこにでもあるだろうと高を括ってたのに。苦労しました。定価で買え? って、なんかもうここまで来ると、逆にこちらも「定価で買わない」ことを尊びそうにもなってしまい……。