『風が強く吹いている』読了

 周回遅れの感動体験。この本が出版された2006年に店頭で眺めた際には、山口晃の手でカバーに描かれている走やハイジやムサや双子その他のメンバーのイラストを見て、「そうか、駅伝の話かあ」と自分との接点を見出せなかったのに、どうして今回――とくべつに当時に比べ駅伝に対する興味が増量したわけでもないのに――手に取ったのかというと、それはもちろん「三浦しをん」という切り口があったからなのですね。彼女のエッセイでときたま見かける「シャッポを脱ぐ」という表現は、こういう小説に対し読者が正当にも投げかけるものだよなあ。あと、「あんたに惚れて悔いはない」とかね。巻末の謝辞に記されている「作中で事実と異なる部分があるのは、意図したものも意図せざるものも、言うまでもなく作者の責任による」というフレーズにさえ、余剰効果で「なんて逞しいんだろう……」と惚れ直してしまうというものです。
 というわけで、「どのキャラクターが一番好き?」という質問にも答えておいた方がいいのかな? でも、そういうのはちょっと照れるな。どのフレーズで一番涙がちょちょぎれたのか? というのには――うーん、やっぱり、あれっすよね、って、やっぱりっていうこともないのかもしれないけれど、あの、第9区を走る直前に、ハイジが、走に贈る、「信じる」よりもさらに深化されたメッセージ。と、打っている最中でさえ、鼻の奥がつんと来て、涙目になってしまう始末。あと、ユキが、第5区を走る神童に、<言おうか言うまいか迷ったすえに>放つセリフ。ああ、これ反則。たまりませんよほんとに。そもそもが、プロローグに出て来る<確信の光>に照射されたかたちで、ハイジだけでなく、読者も(つーか自分も)最後まで導き通されたようなものですからね。帯でも大絶賛のことばがいろいろと踊っているけれど(ちなみにこれもブッ○オフで入手)、そうだよな、「メガトン級」とか、そうした枕詞に少しも引けを取らない出来だもんな。「青春文学の金字塔」とか。あ、これ『めぞん一刻』に付けられていた「ラブコメディの金字塔」というフレーズから取ったものなのですが。同じく、ボロアパート、貧乏学生、んでもって、奇妙な住人たち、ということで。恋愛のさじ加減も――あれは、ぜったいに意図したものだろう――絶妙。というか、絶妙過ぎる。←この「過ぎる」に込められた意味は、たぶん、読み終えたひと全員が共有できるものだと思うのですが、そうでもないのだろうか?
 三浦しをん著。2006年。新潮社刊。単行本の素晴らしい装丁が、文庫化の際にどう変わるのか、いまから心配。