妬く

 怒りで人を束ねることは可能だけれど、嫉妬で人を束ねることはできるんですかね? 無理かなあ? よく思い出すのが、藤子・F・不二雄の(ここでも再三取り上げていたような気がする)『イヤなイヤなイヤな奴』で、あそこに出てくる、男たちをみごとに一心にまとめ上げる敵愾心ってものを、嫉妬に置き換えることははたして可能なのかと(改竄することは可能なのかと)いろいろとシミュレーションをおこなってみたところ……むつかしいっすねえ。少なくとも、ぼくには無理だ。体力不足。怒りの表明と嫉妬の表明における、ステイタスっていうのかな? そういうのと関係があるのかもしれない。ナルシズムとも関係があるのかな? そもそもが、嫉妬ってのは怒りの範疇内、って見方があるのは重々承知の上で。ほら、世の中、ごろんごろんと、役に立たない嫉妬に満ち満ちているから。そんな気がするから。何とかこれを有効利用できないものかなと。でも、あまりそうした流動的な(パーソナルの枠外に出る)動きは、しないのかなあ。嫉妬って。嫉妬ゆえに。少なくとも、『イヤな×3』の中に、嫉妬はなかった筈。そこが藤子の慧眼ってこと?(手塚治虫を「手塚」とはいうけど、藤子不二雄を「藤子」とは、あんまりいわないっすね。そういえば。)