遍在

 サウナでぼんやりと眺めるともなく眺めているテレビから連続で中村靖日の姿がCMで映っているのに接すると、ああ、2009年はこのひとにずばり日が当たるようにできているのかななどという風にもぼんやりついでに思ってしまうというものです。何のCMかというと大塚寧々と木村拓哉が出ていたCMなのだけれど。大塚木村という何の躊躇いもなく美女美男と断ずるにふさわしい人材に対峙する、つまりは我々試聴者代表とでもいうべき(現時点において)無味無臭のネクタイ姿の中村という図式の違和感のなさ——というより、違和感がないだろうと発信者側が信じている目論見の裏の裏をかいた、なんていうんでしょうかねこういうのって、陥穽、というのとは(たぶん)逆で、人事を超えた神の采配……とまではいかずとも、少なくともぼくとしては、近年跋扈しているセクシャルな意味の付随されたものではない、純粋に、字義どおりの「眼福」をここに感じ取ったわけです。とはいいつつ、CMの内容じたいはまるで記憶に残ってないんすけれどね。つまりは、コマーシャリズムさえも排した「眼福」。ある意味すごい。希有の累乗。前に雑誌のインタビューで高橋留美子が思いがけずテレビで津田寛治を見ると「得した」気分になるというようなことをいっていた(と記憶している)のだけれど、それと同じような意味においての「眼福」。説明すると。ここでのそれは。思いかけず、というのがポイントっすね。もしかするとぼくが知らないだけで、世間的には中村靖日におけるピースフルな遍在性は既に常識となっているのかもしれないけれど。今までぼくが見た中村靖日といえばこのCMを含めほとんどがネクタイ姿なのに、それなのにそこはかとなくただようコスプレ感。これもポイントの一種かと。