割に気にしてる迷信

 1位……はお岩様に関することっすね。「お岩様について語ってはいけない。下手に(正式な手続きを経ずに)語ったりしたら、確実に呪われる」と、これを書いている最中もけっこうびくびくしてたりしているのですが。いやほんとに。子供時代に受けた教育のおかげっす(小学5、6年の担任がこの手の話を語るのが大好きだった)。正に、禁忌として、体内に染み込んでいるみたいで。
 なんで急にこんなことをいい出したのかというと、つい先日、京極夏彦の『嗤う伊右衛門』を読み終えたもので(結局、京極本を読むのを休むとかいっておきながら手を出してしまう)。おもしろいっすね。これも。実に。ラストで泣きましたよ。上のような禁忌を抱えていたものだからよけいに(あと、いま読売夕刊で三浦しをんが連載している「四谷怪談」に関するエッセイも、初心者に古典をわかりやすくていねいにかみ砕いて描いている姿勢がいい。)
 2位……は、「夜に爪を切ったら、親の死に目に会えなくなる」かな? なんだか、「夜」ではなく「朝」に爪を切ったらいけない、といった風説もあるところでは流通しているようですが。自分は「夜」派。親の死に目云々以前に、これもまた、厳然たるタブーとして、自分の中に染み込んでいます。——というか、単純に、夜に爪を切らないなんて軽く守れるんだから、この記録がどこまで守れるのか挑戦してみたい、といった面もありますが。
 3位……は、「通りで霊柩車を見掛けたら親指を隠す」——かな? ちょっと上のとかぶってますね(迷信として地味な存在)。
 にしても、どれもこれも、死に関する迷信ばかりだ、拘泥してるのって。というか、死に関しない迷信、というのも珍しいのでしょうか?
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 過去形でいうと、アンゴルモアの大王の件とかも、けっこう信じてたなあ……。あ、1999年7月のあれっす。「困った時代に生まれてきたもんだよ」なんて80年代後半には学ラン姿で真剣に憂いていたり。もうすぐ10年になるんすね。タイムマシンがあったら、昔の自分に「そう脅える必要はないよ」くらいのアドバイスも出来るのですが、まあ、現時点においても、上のと似たような恐怖によって無自覚に何かに縛られて続けているのかもしれません(無自覚ってところがポイントっすね)。これもまた、一種の信仰心……などと書いたら、それこそ自分の宗教的無知を詳らかにしていることになりかなり恥ずかしいのですが。でもちょっとそう思ってるのも事実。束ねられているのでしょうな。ばっさりと。
 13日の金曜日は、あんま気になんないです(映画も見てないし)。